航路図を描くように“人”と“食”が世界中を行き交う、架け橋のような存在に

EVER BREW株式会社 代表取締役 菅原亮平

エバーブルーを創業した代表取締役の菅原さんに、創業の経緯や事業を軌道に乗せるまでの道のりと壁、問題を乗り越え成長させてきた軌跡、そして今後のビジョンについて聞きました。どのような方にジョインして欲しいのか、メッセージも語ってもらいました。

人と同じことをしていては勝てない

菅原さんは、いつ頃から起業を考えたんですか?

そもそもは高校の頃。学校に数学者の秋山仁さんが講演にいらして、「自分は誰もやっていないテーマを研究したから日の目を見ることができた」と聞いたんです。進学校で周りは優秀な人ばかりでしたから、人と同じことをしてては勝てないって思い、、自分は起業しようと考えました。

そうだったんですね~。

このとき思った「人と同じことをしていては勝てない」という言葉は、今でも自分の経営哲学になっているんです。どんな店をつくり、どんなビジネスを展開していくかの戦略を考えるとき、必ずこの言葉を思い起こしていますね。

確かに、エバーブルーはユニークな事業を展開していると思います。どのように起業に至ったのでしょうか?

高校時代は理系で、一番独立しやすいのは建築士だろうと大学の建築科に進学しました。でも緻密な作業が向いてなくて、早々に諦めました。その代わりでもないけど、大学3年の2000年の頃、アメリカ西海岸でスムージーが流行り始めているのを知って、友人とふたりでスムージーを日本に持ち込んで事業化しようと計画したんです。で、タリーズを日本に持ち込んで成功させていた当時の社長のところに伺い、この事業化をさせてほしいとプレゼンさせてもらいました。

行動的ですね!

「独立したいならタリーズの新規事業の立ち上げがあるので入社して1年ぐらい勉強してからにすれば?」と言われました。「それもそうですね」と、緑茶専門店の新事業立ち上げをやらせてもらったんです。それ以外の仕事もたくさん経験でき、1年半ほど勉強させてもらいました。

「スペシャリティビール」で勝負

いい経験ができたんですね。で、次に独立ですか?

そうなんです。学生時代からビールが好きになっていて、タリーズの「スペシャリティコーヒー」になぞらえて「スペシャリティビール」で勝負しようと。今のクラフトビールのことです。いろいろなブルワリーがあり、それぞれ独自のストーリーやラベルが魅力的だったので、ビールの専門店を開こうと思い立ったんです。

記念すべき1号店の「ベル・オーブ六本木」ですね。でも、オープン当初はあまり集客できなかったと。

開業したのは2004年5月1日。ゴールデンウィークの真ん中で、東京ミッドタウンも当時は工事現場で六本木に人なんかいやしない(笑)。毎日ブログを書くとか、友達に声をかけるとか、考えられることをいろいろやりました。そのうち、友達よりも友達の友達の方が来てくれるようになって、店を起点に人を繋いでいくことの大切さを実感しましたね。

このとき、業界関係者から「ビールは原価が高い。ビアカクテルも出して原価を下げたほうがいい」と言われたとか。

そう。でも、それは違うと思ったんですよ。この狭い店をビール好きで埋められないようなら、そもそもニーズがないからこの業態は止めたほうがいいってね。

そうかもしれませんね。

でも、ちょっと違うことをやってみようと2号店、3号店も出しました。結果的にうまくいかなくて閉店しましたけど、1号店も確立させていないうちに、違うことをやろうとしても中途半端になるだけ、ということを学びました。結果的にコレガス(オランダ語で“仲間”の意)を不幸にしてしまう。苦しい思いをしたけど、いい勉強になりましたね。飲食店は、どんな立地でどんなコンセプトの店にするかをいかに詰め切るかで、80%は決まる。それ以来、必死に考え抜いた上で新業態の出店をしています。

クラフトビールの直輸入で軌道に

それがあるから今の成功あるんですね。そのときの難局はベルギーからの直輸入で打開したわけですね。

それまで、日本のクラフトビールのパイオニアであるBRUSSELS株式会社(以降ブラッセルズ)から仕入れていましたが、それをやっていてはいつまでたてもブラッセルズには勝てない。そこで直輸入に踏み切りました。原価も安くなるかもしれないと。結果的に、安いだけでなくうちにしかないビールを仕入れることができて、軌道に乗せることができましたね。

そのブラッセルズは、2020年のコロナ禍を機にエバーブルーの子会社になってくれたんですね。

コロナ禍の2020年12月に完全子会社化し、私が代表で濱田が取締役となり、半年で濱田と一気に立て直しに入りました。ブラッセルズの社員たちは皆ビール愛に溢れていて優秀でしたし、すぐにお客様で溢れるお店に戻りました。とても感謝しています。

話を戻しますが、2005年の直輸入と卸事業の開始に続いて、2007年にはベルギーの首都ブリュッセルで有名なビアカフェの「デリリウムカフェ」を東京に持ってきましたね。

直輸入を始めたのはいいけれど、ビールに最適な温度帯で運ぶには専用コンテナを1個組まないといけない。輸入量を増やすには店を増やす必要がある。そこで、人気があったデリリウムカフェに行って交渉しようと。ベルギー現地、深夜のデリリウムカフェでたまたま輸出責任者と会うことができ、結果オーナーと出会えたのです。オーナーは気のいいおじいちゃんで、ビールを飲みながら片言で一生懸命話すと「面白い若者だ」と気に入ってもらえました。

当たって砕けろ、ですね。

おかげで、日本でのデリリウムカフェ一号店「デリリウムカフェ トーキョー」も人気が出ました。この頃から、ただクラフトビールを提供するだけでなく、世界中の人が集う飲食店文化を世の中に広げていこうと考えるようになりましたね。

その後、リーマン・ショックや東日本大震災といった大きな出来事もありました。

飲食店としては逆風だったけど、当時のデフレによる安売りトレンドに抗ってクラフトビールを提供することにこだわり、“絆”を求めて集まる場所としての飲食店の価値を再認識できました。エバーブルーが成長する節目になったと言えます。

「食で繋ぐ人の“円”」ビジョンに向けた道筋

そして、2015年にブリュッセルに子会社を設立。いよいよ自社ブランド「初陣」の醸造を始め、日本国内でも2018年に醸造を開始したんですね。

リーマン・ショックのとき、売上が激減したものの、円高になってビールの輸入原価が
大幅に下がってなんとか生き残れました。でも反対に、もし今みたいに円安に振れていたら、会社はなくなっていたでしょう。このとき、為替に左右されないことも必要だと感じたし、日本酒の獺祭の現・桜井社長などと仲良くさせてもらっていて日本酒と同様、日本側からも文化の発信を行いたいと強く思うようになっていました。

こうして、クラフトビールの専門店運営、輸入・卸、醸造と事業が広がったんですね。

そうですね。普通は生産から始まって、流通、サービスと広がりますが、当社は逆。しかし、お客様を掴んでいる店から発展させていったほうが成功できると思っています。

今後のビジョンを教えてください。

生産者やお店、お客様などを繋いで輪にする“円”を世界に広げていきたいと思っているんです。ただ数字を追うだけではなく、醸造と卸、レストランのバランスを取りながら、クラフトビールを核とした文化を広めていきたい。航路図を描くように、“人”と“食”が世界中を行き交う航路図をエバーブルーで作りたいと思っています。

そのために足りないピースをこれから埋めていくわけですね。

例えば、ジンを始めとした蒸留を2023年には開始します。ビール醸造の最後に酵母が多くて製品にできない部分を蒸留したり、酒造りの過程でできた廃棄をエサにして飼育した食肉を仕入れるといった「ゼロエミッション」にもチャレンジします。そもそも世界の酒造りの歴史にはそんな地域貢献の実績があって、醸造家は地域の名士ともなってきたわけです。

努力していると感じないほど、夢中になって取り組める人

では、これからどのような会社にしていきたいですか。

規模は全く違いますが打倒サントリーさんです(笑)それは半分冗談ですが、醸造・流通・レストランの事業をみんなが主体的に考えてそれぞれの考えを取り組んでいける唯一無二のユニークな企業にしたいですね。僕らは二刀流ではなくて三刀流を目指します(笑)個人的な話にもなりますが、月で地球を眺めながら自分達のビールを飲みたいという夢もあります。

いいですね! では、これからどのような人に入社してほしいと思っていますか?

努力も大事だけど、努力していると感じないぐらい、好きで夢中になって取り組める人。人気商売の飲食店は流行り廃りが激しいけれど、当社は基本的に短距離走ではなく、マラソンのつもりで走っている。「商いは飽きない」そのものです。お客様が飽きるのではなく我々が飽きて改善が行われなくなって店は魅力を失います。時代の移り変わりに合わせて、僕ら自身もお店も細かくチューニングしないと。そのためには、飲食店の仕事を長く続け、業態にしなければならない。そのためには、“好き”であることが一番大事かなと。慣れっこにならずにね。

そうですね。

会社を利用して成長したい、いずれ独立したいという人も大歓迎です。

読者の皆さんとお会いできるのを楽しみにしています!気軽にご応募ください。