再入社した、エバーブルーの魅力とは

EVER BREW株式会社 執行役員 兼 運営部長
EVER CREED株式会社 運営部長
BRUSSELS株式会社 取締役
濱田 貴之

エバーブルーの“No.2”である執行役員の濱田さんは、一度退職して再入社しています。他社の店を数多く経験してきたからこそわかるエバーブルーの魅力を、その豊富なキャリアとともに語ってもらいました。

接客に“天職”を感じる

濱田さんの略歴を教えてください。

高校時代から調理師を目指していて、フレンチとイタリアン専門の調理学校を卒業後、銀座のイタリアンレストランに就職しました。もちろんキッチンを希望して入ったんですけど、僕がよくしゃべるところを評価されて、ホールに配属されたんです。

なんか濱田さんらしいですね(笑)。

嫌じゃなかったからホールで働いてみたら、「天職だ!」と(笑)。接客がすごく自分に向いていると感じました。で、半年ほどでバーカウンターのチーフに抜擢され、張り切って睡眠時間を削ってお酒の勉強をしたら、体を壊してしまって。やむなく退職しました。

それは辛かったですね。

少し良くなっても、医者からは「週3日のアルバイト程度なら」と制限されて。それで、銀座の和ダイニングバーにアルバイトで入ったんです。ホール希望でしたが、当時キッチンが人手不足で、調理学校を出ているならとキッチンに配属されました。

接客ができなかったのが残念ではありましたが、半年後に姉妹店の店長に上げてくれて、20歳で初の店長を経験できました。

早いですね! しかも銀座のお店で。

ただ、その会社の上層部でゴタゴタがあって1年で辞め、イタリアンの店にアルバイトで入ったんです。そうしたら、そこに入っているコンサルティング会社の人から認められて、その会社が指導しているタイ料理店の店長を任せてもらうことになりました。それ以外にも、ベトナム料理店の立ち上げやインド料理店の指導などいろいろ経験させてもらいました。

赤坂サカスでエバーブルーと出会う

アジア系の料理店も経験したんですね。

その後、コンサルティング会社のツテで、青山にあるカフェのマネジメントを頼まれ、その流れで赤坂サカスでの地中海料理店の立ち上げを任されました。その際に、同じフロアにあった「デリリウムカフェレゼルブ」のスタッフと知り合ったんです。その中に社長の菅原さんもいました。

それがエバーブルーとの出会いですね。

そうです。お互い行き来して親しくなりました。その青山のカフェの会社でもゴタゴタがあって全員辞めることになって。働き先として、僕と部下2人を含めた3人を引き受けてくれる会社を探しました。結構断られたけど、菅原さんはOKしてくれたんです。2010年、28歳のときです。

「デリリウムカフェレゼルブ」に入ったんですね。

はい。ホールとして入り、半年後に副店長、さらに半年後に店長になりました。赤坂の店長を2年ほどやって、新宿店店長に異動して2か月後に退職しました。

“天井”にぶつかって退職

理由を教えてください。

そのころ、大手のレストランからスカウトされて、1棟丸々レストランというビルの立ち上げをやらせてくれることになりました。当時、エバーブルー社内では菅原さんと当時の運営部長に次ぐポジションになっていたわけですが、そのころの自分は上昇志向が強く、もっと早く上に行きたいと、天井にぶつかったように感じていたんです。それで、大手のレストランを経験したこともなかったので、スカウトの話に乗ることにしました。

当時、独立は考えなかったんですか?

独立して成功する人は、「イタリアンなら絶対の自信があるっ!」「焼き鳥で天下を取るっ!」といった、これで勝負するっていう強いこだわりがあると思うんです。それが僕にはなかった。それまでいろんなジャンルの飲食店を経験して器用にこなせていたけれど、ただ「飲食業でお客様に喜ばれる」ことがシンプルに好きなだけだったんです。お客様に喜ばれるなら、業態などのこだわりはありませんでした。

なるほど。移った後はどうでしたか?

シチリア料理店のマネージャーを務めたものの、3~4ヶ月で辞めました。いろいろ問題があって。でも、短い間だったけれども勉強できましたよ。その後、店の常連になってくれた広告代理店の社長から「飲食事業を始めるから」と声をかけてもらい、日本酒バルをつくりたいというので物件探しから関わりました。日本酒について知らなかったので、利き酒師の資格も取りましたね。そこで4年ほどやった後に、エバーブルーに出戻ったという次第です。

余計な上昇志向がなくなって自然体に

エバーブルーに戻った経緯を教えてください。

自分が働いていた日本酒バルの店に、ふらりと菅原さんが来てくれたんです。そして、エバーブルーに戻ってこないか、と話をしてくれました。

天井にぶつかる感覚はもう気にならなかったのでしょうか?

気になりませんでした。さまざまな経験を経て、余計な上昇志向がなくなって自然体になった感じですね。エバーブルーを辞めたときとは違い、今は会社も大きくなり店舗も増えたので、管理職も増えています。これから働くコレガス(オランダ語で“仲間”の意)には天井のない環境で働いてほしいと思っています。

大きな責任感だからこそのやりがい

そのような経緯があって2017年に、六本木ミッドタウンの「RIO BREWING&CO. BISTRO AND GARDEN」の店長として再入社されたんですね。

当時、不調だったけれど、コレガスみんなに頑張ってもらって1年で黒字に戻しました。その後、ベルギービール事業部のサービス責任者を任せてもらい、現在に至ります。

執行役員 兼 運営部長として、菅原さんとはどんな役割分担なんですか?

菅原さんはエバーブルーの未来戦略を考え、プランを練ることが大きな役割でしょう。あとは代表取締役として契約や交渉など対外的な職務がいろいろあると思います。僕は、現在グループ3社、35店舗以上の運営責任者として、対内的なマネジメント全体を任されています。

どんなところに仕事のやりがいや面白さを感じていますか?

グループ全体で正社員120人とアルバイト約300人以上。それと仕入先や店の大家さんなど、いろんな人と関わりながら、人事から営業、メニュー開発、仕入交渉、家賃交渉までいろんな仕事に携われているところですかね。コレガスの人数も増えているし、みんなのキャリアアップを図り、生活を支えることにタッチできるのは、大きな責任感と、だからこそのやりがいがありますね。

自分の頭で考える、面白さ

再入社したくなるようなエバーブルーの魅力って、どういうところですか?

輸入卸やビールの醸造までやっていて、いろんなことが学べますよね。ホールスタッフでも任されることが多いことも加えて、特に独立したい人には最適な環境があると思います。また、35店舗以上を運営していますので、いろんな人に関われる魅力がありますよね。

確かに。

加えて、やることが多いところ(笑)。実際、他社をいくつも経験したけれど、どこも店長の仕事ってやることが少なくてヒマなんです。他社で働いていて「このままでは能力が落ちる」と感じたことも、再入社の理由になりました。

やることが多い要因とは?

他社の場合、経営側は売上や利益を店長にもオープンにしないんです。オープンにすると、不当に給料が抑えられていることが分かるから。

そうなんですね!

その点、エバーブルーはこれらをオープンにした上で、コレガスの工夫や努力で成果が上がればインセンティブを支給したり表彰したりしています。つまり、店長を筆頭に、コレガス全員で店の経営に参画する意識をつくっています。僕もよく「0.1%原価を下げるにはどうすればいいと思う?」なんて、店のミーティングで投げかけているし。だからマネジメントの仕事が多いんです。

確かにコレガス一人ひとりの裁量が大きいですよね。みんな、自分の頭で考えていますね。

だから面白いんだと思います。

では、濱田さんとしては、今後エバーブルーをどんな存在にしていきたいですか?

一言で言えば、“日本一イキオイのあるビアレストラン運営会社”ですね。

いいですね! ありがとうございました。