ホスピタリティNo.1のユニットをつくる!

EVER BREW株式会社 仙台2店舗 ユニット長
今野 拓哉さん

ホスピタリティに魅かれて飲食業の道へ

飲食業に興味をもったきっかけを教えてください。

小学生の頃、たまたま親と入った喫茶店のマスターがカッコよくて、自分もこういう店で働きたいと思ったんです。

そこが原点ですね。その想いをずっと持ち続けてきたと。

そうですね。
そして、仙台から上京した大学生の頃、彼女(現在の妻)が僕の誕生日にカジュアルなイタリアンレストランに誘ってくれて、そこでサプライズを仕込んでくれたんです。
「Happy Birthday Takuya!」と書かれたデザートプレートが運ばれてきて。

おお。さぞ嬉しかったのではないですか。

はい。
その店のサービスぶりが、ホストである妻の顔を立ててゲストの僕を喜ばせるという素晴らしい振る舞いだったんです。
そんなホスピタリティに感激して、2003年の卒業後にそのレストランに入社しました。

飲食業でのキャリアのスタートですね。

ホールを担当するサービススタッフとして2年働いた後、自分のサービススキルを上げようと、当時抜群のサービスで人気があったレストランから独立した方が経営していたイタリアンに転職しました。

抜群のサービスとは?

大規模なレストランで、入り口などに何人もサービススタッフが控えているんですが、その全員が前を通るお客様に「〇〇様、いらっしゃいませ」「〇〇様、ありがとうございました」と名前を添えて声を掛けるんです。
予約客が来ると、その名前を全員がインカムで共有していたんですね。
その徹底ぶりが素晴らしい店でした。

なるほど。

ホスピタリティの気持ちがあっても、それをどう表現すればいいかわからない部分がありました。
当時はそれを勉強したかったんです。

入社して半年ほどで、その会社がほかの事業で負債を抱え、レストラン部門を切り離すことになり引き取り先を探していたんですが、そんな話を1社目の社長と食事をしているときに話したんです。
すると、その社長が買うことになって。
なので、僕は1社目に出戻ったわけです。

1社目の社長と食事し、出戻りも認めてもらえたということは、1社目は「いい辞め方」をしたわけですね。

そうですね。
「サービススキルを磨きたい」と話すと、「磨いたらいつでも戻ってこい」と快く送り出してくれました。

実際には、引き続き同じ店で仕事を続けられたわけですね。

はい。まだ半年で、もうちょっと勉強したかったのでありがたかったです。で、2007年に知人から紹介されて、あるオーナーシェフが経営する南青山の高級なリストランテに転じました。いつか独立したいという思いがあって、一度3~5万円という高単価の店を経験しておきたかったからです。

ホストの顔を潰す大失敗

実際にどういったことが学べましたか?

実は、大失敗をしてしまいまして。
今振り返ると、その経験が一番の学びかもしれません。

そうなんですね。どんな大失敗でしょう?

外資系金融機関のお客様が大事な商談の接待で来られました。
良かれと思って、接待相手であるゲストのお客様に直接「お飲み物はいかがなさいますか?」と聞いてしまったんです。
本来は、接待する側のお客様に伺わなければなりませんでした。
直接ゲストに聞いてしまったことで、ホストがゲストから「気が利かない人」と思われてしまったんです。

なるほど。

ホストのお客様から、「商談が壊れた」と強いお叱りをいただきました。
後で、自分は良かれと思っての行動だったが、実は自分の承認欲求を満たしたかっただけだったのではないかと猛省しました。
それとともに、妻がサプライズを仕込んでくれたあの店のホスピタリティのように、どちらの顔も立てる大切さを再認識しました。

いい経験になったんですね。

はい。
その後、2009年に知人の誘いで南麻布のイタリアンにホールマネージャーとして転職し、2010年にソムリエ資格を取りました。
2014年にその会社のオーナーから代表を任されていたシェフが独立し、私が後任の代表に指名されたんです。

経営に就くチャンスが巡ってきたわけですね。どれぐらいの規模のお店ですか?

20席で、スタッフは3人です。

実際に経営に就いてみて、いかがでしたか。

その店が好きだったので、なくしたくないと引き受けたんですが、プレッシャーはめちゃめちゃ大きかったです。
特にスタッフ3人とその家族の生活を守らなければならないという部分が。。

そうですよね。

シェフが辞めると、お客様も離れてしまうんです。
なので客数が落ち、最初の2年間は自分の役員報酬を自分で削りました。
幸いというか、妻がそれなりの収入を得ていたので、それに頼っていました。

それは大変でしたね。

ただ、2年ほどで経営は回復し、3年目からは軌道に乗ってきました。
すると、それまで何も言わなかったオーナーが店づくりに口出しするようになったんです。
オーナーの考えと自分の考えが合わず、やりとりの中で度が過ぎると感じることもあり、結果的に辞めることにしました。
それを機に、ずっとイタリアンだったのでほかのジャンルにチャレンジしようということと、地元の仙台でも仕事がしたいと思ったんです。

仙台と東京を行き来されていますよね。

そうですね。東京はグルメにおいて世界の中心なので、離れたくない。
一方で、地元の仙台でも仕事をしたいと思いました。
そこで、東京に本社や店があり、仙台にも店がある会社を探すことにしたんです。
店舗経営を経験していたこともあり、いずれは経営に携わるポジションへ就けるかどうかもポイントでした。

どうやって探したんですか?

それまでの転職は全部知人経由の紹介だったので、まずどう動けばいいかすらわかりませんでした。
そこで、転職エージェントに相談すればよいという話を聞き、登録をしたんです。
そこで3~4社を紹介してもらい、その中にエバーブルーがあったという経緯です。

今野さんがユニット長をされている「ブッチャー・リパブリック 仙台 シカゴピザ & ビア」

年の差や意識の差でマネジメントに苦労

エバーブルーに決めた理由は、どこにありましたか?

毎年1~2店舗を出店し伸びていてポジションがありそうなことや、ビールの輸入卸も手掛けていて事業に広がりがあったことが魅力でした。
また、いい意味でまだフォーマット化されておらず、自分の裁量が大きそうなところも“やりがいがありそう”と感じたポイントでした。

入社したのはいつですか?

2018年10月に、仙台の「デリリウムカフェ」のホール担当として配属されましたが、2ヶ月で現在の「ブッチャー・リパブリック」に業態変更しました。
さまざまな理由がありますが、ひとつとしては車社会の仙台では、フードが充実している業態のほうがいいという判断でした。

その後、どうステップアップしたのでしょうか?

入社したとき、仙台で5店舗ぐらいと、東京でも何店舗かをマネジメントするという当面の目標を持ちました。

2019年10月に当時の店長兼料理長が東京に異動となり、私が後任店長を打診されたんです。そのときは「やっと話がきた!」と思いました。
自分の目標から逆算すると、もっと早くに店長をやりたい気持ちがあったからです。

なるほど。実際に店長となり、「ブッチャー・リパブリック」のスタッフマネジメントはいかがでしたか?

社員が3人と学生アルバイトが15人ぐらいでしたが、アルバイトのマネジメントに難しさを感じました。

どういうところに?

自分の半分くらいしかない年齢とのギャップというか。
自分も大学生時代がありましたけど、そのときの感覚をとうに忘れていて、どう言えば思ったように動いてくれるかに苦労しました。
自分の性格は“ジャイアン”的で、社員やアルバイトに対してきつく怒ることもよくありました。

そうだったんですね。

それを代表の菅原さんにも指摘されたんです。
菅原さんは口コミサイトやお客様アンケートなどをまめにチェックしていますから、口コミの「スタッフがよく怒られている」という記載を見て指摘につながりました。

どうやって改善していったんですか?

自分のやり方で店の評判を落とすのは良くないことであり、そもそも自分の思うどおりに動かそうというのが横柄なことだと気づきました。
そこで、絶対に自分の味方になってくれるアルバイトの子をひとりつくって、大事なことはその子からほかのアルバイトに伝えてもらうようにしました。

ほかのアルバイトにはどう接したんですか?

みんなと飲みに行って、あえて自分の素の姿をさらけ出したんです。

結果は出てきましたか?

2年ぐらいすると協力的なアルバイトが増えて、辞めなくなりましたね。
大学1、2年生のときに入って、卒業で辞めるという人が増えたんです。
友達を紹介してくれる人も増えました。
おかげで、アルバイト採用には全く困らなくなりましたね。

それは素晴らしいですね!
そのようにして「ブッチャー・リパブリック」を軌道に乗せて、2店舗目を任されたと。

新業態1号店(仙台3店舗目)を任される

仙台の3店舗目が決まりましたね。

2023年春以降に新業態の店がオープン予定です。
これまで、料理長が独立してうまく行っているケースは多くても、ホールから独立してうまくいく人はあまりいませんでした。
そこで、料理をシステマティックにして、ホール出身者でもうまくオペレーションできる業態を開発することにしたんです。

新業態の第1号!責任重大ですね。

実は私自身の課題として、マイナスからゼロに持っていくことはできても、ゼロからイチに持っていくのは苦手意識があるんです。
でもいい機会なので、思い切ってチャレンジしたいと思っているところです。

4号店、5号店のイメージはありますか?

自社のビールやいろいろな炭酸系のドリンクを揃えた40~50席のお店です。
仙台は老若男女問わず人と人の距離が近いので、ワイワイ賑やかなお店をつくりたいですね。
お年寄りが来ても、すぐ人気者になれるような。

そのような店をまとめて任されるユニット長には、どんなミッションがあるんですか?

以前はエリアマネージャーは「統括」という名称でしたが、2023年度より菅原さんが「団結する」という意味の“Unite”から「ユニット長」という名称に変更しました。
その名のとおり、所管する店のコレガス(オランダ語で”仲間”の意)をひとつにまとめて、みんながイキイキ仕事ができ、お客様にも楽しんでもらえる店をつくることです。
その結果、売上目標を達成することがミッションですね。

仙台ユニットをどんなユニットにしたいと考えていますか?

エバーブルーNo.1のホスピタリティがあるユニットです。
ほかのユニットがみんな仙台に研修に来るぐらいのユニットにしたいです。

それは今野さんらしい目標ですね。そのためにはどんなことを心掛けていきますか?

メンバーがやりたいことを自由にやってもらうことです。自分はできるだけ“No”と言わないようにしたいと思っています。
ホスピタリティは押し付けでは決してできることではありませんから。

そう感じます。
では、入社して感じてきたエバーブルーの働く環境としての魅力とは?

みんな同じことを言うと思いますが、店長・料理長以上の裁量権がとても大きいことです。
それと、各店舗の売上や利益がオープンなので、何をやればどんな結果になるかがわかって非常に刺激になりますね。
そんな会社はほかにほとんどないと思います。

確かに皆さんそう言いますね。

それと、トップとの距離が近く、何をやろうとしているのかがわかること。
会社全体でも“Unite”しやすいと思いますね。

ありがとうございました!